『戦隊大失格』の主人公・戦闘員Dは、ただのモブキャラじゃない。むしろ、この作品最大の「裏切りの象徴」とも言える存在なんだ。
ドラゴンキーパー率いる「大戦隊」の正義が実は茶番劇だったなんて、普通に衝撃。そんな世界で、反旗を翻すのが戦闘員D。彼の正体、そして覚醒の瞬間には、思わず息を呑む展開が待っている。
この記事では、戦闘員Dの知られざる背景や覚醒のきっかけ、そして彼がなぜこの物語の「主人公」にふさわしいのかを徹底的に語っていくよ。
- 戦闘員Dの正体と人間としての覚醒
- 大戦隊の裏にある“やらせ”の構造と偽りの正義
- 戦闘員Dと仲間たちの複雑な関係性と選択
戦闘員Dの正体は「ただのモブ」じゃない!
普通の戦隊モノで「戦闘員D」なんて聞いたら、たいてい背景でやられるだけの脇役を想像するよね。
でも『戦隊大失格』の戦闘員Dは、まさかの主人公!
しかも、彼が背負ってる物語が深すぎて、気づけば応援せずにはいられなくなるキャラなんだよ。
戦闘員Dとは何者か?驚きの設定と出自
まず、戦闘員Dは「悪の怪人軍団」のただの下っ端戦闘員…のはずだった。
だけど、13年も続く日曜決戦が実は大戦隊によるやらせだったって事実を知った彼は、「こんな茶番やってられるか!」って反旗を翻す。
その時点でもう、ただの戦闘員じゃない「異端の存在」になってるんだよね。
しかも驚くのはここから。戦闘員Dは人間じゃなく、怪人たちが生み出した不死身の生命体なんだ。
人間の言葉も文化も知らなかった彼が、独学で学び、考え、疑問を持ち、「自分たちは悪なのか?」と問い直す。
この時点でもう、モブじゃないよね。
桜間日々輝への擬態と「人間」としての生活
戦闘員Dがさらに異色なのは、倒した人間・桜間日々輝に擬態して、大戦隊に潜入しちゃうところ。
これって要するに、「人間になりすまして、人間社会で生きる」ってことなんだけど、普通の怪人キャラじゃなかなかそこまでできない。
でもDは、見た目も言動も桜間になりきって、訓練を受けたり仲間と関係を築いたりするんだ。
しかも彼が潜入する目的は、「世界を壊す」ことじゃなくて、この偽りの正義の中で、本当に守るべきものを見極めること。
その姿勢には、ヒーロー以上の覚悟があるように感じる。
擬態によって得た「人間としての生活」は、Dにとって初めて触れる「日常」でもある。
仲間と飯を食って、訓練でバカやって、悩んで怒って…。
それって戦闘員だった頃には一切なかったものだし、彼の感情がどんどん「人間らしく」なっていく過程が見どころなのよ。
だからこそ、「本当に怪人は悪なのか?」「人間になった怪人の想いは偽物なのか?」って、読んでるこっちまで揺さぶられる。
戦闘員Dはただのモブどころか、物語の正義を再定義する存在なんだよね。
戦闘員Dの覚醒シーンがアツすぎる!
正直、「戦闘員D」って名前だけ聞いたときは「どうせすぐやられるやつでしょ」って思ってた人、多いはず。
でも実際は、あの大戦隊から神具を奪っちゃうほどの覚醒を見せる、まさかのダークヒーローなんだよ!
その過程がまた熱くて、「もう応援するしかないだろ!」ってなるんだよね。
「ただの戦闘員」が神具を奪うまでの過程
戦闘員Dが最初に立ち上がったのは、日曜決戦での「予定外の反撃」だった。
台本通りにボコられる毎日にキレて、本気でレッドキーパーに挑む…でも、あっさり負ける。
この時点では、Dにとって世界は絶望そのものだったんだ。
でも、それでも折れなかった。
彼は逃げずに、人間社会に潜入して、チャンスをうかがう。
そしてついに、レッドキーパーが持つ“赤の神具”を奪うっていう大事件を起こすんだよ!
これ、ただの武器じゃなくて、不死身の怪人すら殺せる神級のアイテムだからね。
それを奪う=大戦隊への宣戦布告も同然。
しかも、Dはただの運や奇襲で奪ったんじゃなくて、完璧な擬態・心理戦・タイミングの積み重ねで勝ち取った。
この時点で、戦闘員Dはもう「ただのモブ」どころか、物語をひっくり返す“革命の起点”なんだよね。
擬態だけじゃない、圧倒的な覚悟と成長
Dのスゴさは、見た目だけ人間っぽくしてるんじゃないってところ。
彼は、自分が何者か、何のために生きているのか、本気で考え続けてる。
最初は「やられ役」だったけど、人間に擬態して生活する中で、喜びも怒りも悲しみも、すべて自分のものとして体験してる。
神具を奪ってからも、Dはそれを「力」として振り回すんじゃなくて、「正義って何?」「守るべきものって何?」って問い続けてる。
覚醒=パワーアップっていうより、“自我の確立”って感じなんだよ。
しかも、Dの覚醒って孤独じゃない。
錫切夢子や桜間日々輝といった仲間の支えがあって、時には衝突しながらも、互いに影響を与え合ってる。
その人間ドラマがまたアツくて、戦闘員Dが“人”として戦ってることを実感できるんだ。
ちなみに神具を扱うには「適合手術」っていう、成功率50%のリスクがある改造を受けなきゃいけない。
でもDは、それすら乗り越えて、神具の力を操れるようになる。
体も心も“戦う覚悟”に完全に目覚めた瞬間が、最高にカッコいいんだよ。
ここまで来るともう、戦闘員Dは「悪の側の存在」なんて見方じゃ語れない。
彼はこの世界の“正義”に真っ向から挑む者なんだ。
戦隊大失格の「正義VS悪」の常識をぶち壊すDの存在
「正義のヒーローが悪の怪人を倒す」って、戦隊モノの王道だよね。
でも『戦隊大失格』では、その“王道”がまさかの嘘だったって設定が出てくるんだよ!
しかも、それを暴いていくのが“悪役”のはずだった戦闘員Dっていう、めちゃくちゃ異色な主人公。
毎週日曜の戦いは全部「やらせ」だった!?
物語の中で衝撃なのが、大戦隊と怪人軍団による「日曜決戦」が実はすべて演出されたショーだったってこと。
つまり、「正義の味方が悪を倒す勇姿」は台本通りの八百長。
怪人たちは、本気で戦ってるふりをして、毎週のようにやられ役を演じ続けてたんだ。
しかもその協定は、怪人幹部が壊滅したという“ウソの戦果”を発表した大戦隊が、怪人たちを支配するために結ばせたもの。
要するに、「平和のためのエンタメ」という名目で、怪人たちを使い捨てのおもちゃにしてるわけ。
戦闘員Dはその中で、「自分たちが演じさせられていたこの世界って、なんなんだよ」って気づいちゃう。
その気づきが、彼を“ただの戦闘員”から「体制に抗う存在」へと変える転機なんだよ。
本当の悪はどっちだ?大戦隊の裏の顔
外から見ると、大戦隊は「人々を守る希望のヒーロー」。
でも中身を知ると…そのイメージは完全に崩れる。
例えば、レッドキーパーは部下の裏切りを知ると即座に粛清する独裁者だし、
イエローキーパーに至っては、怪人そのものを作り出した黒幕だったりする。
この構図、完全に逆転してるんだよね。
「正義のヒーロー」は自分たちの地位を守るために嘘をつき、「悪の怪人」はその嘘に苦しみながら生きてる。
じゃあ、正義って誰が決めるの?っていう根本的な疑問を、Dの存在がぶつけてくるわけ。
戦闘員Dの行動は、完全に体制にとっては“悪”なんだけど、見てるこっちにはすごく「まっすぐ」に感じる。
「もうこれ以上、ウソの戦いを続けたくない」っていう彼の覚悟には、むしろ共感しちゃうんだよ。
そのせいで、読んでる側の感情がめっちゃ揺さぶられる。
誰が正義で、誰が悪なのか、ハッキリ断言できない世界。
それを壊すのが戦闘員Dっていうのが、本作最大の魅力なんだよね。
そして何より、「ヒーローって本当に必要なの?」って問いにまで届いてくる。
戦隊モノの常識をぶっ壊してくるこの世界観、クセになるよ。
戦闘員Dを支える仲間たちと複雑な関係性
戦闘員Dって、最初は一匹狼っぽい雰囲気なんだけど、物語が進むほどに人との関係に悩み、絆を築き、時には裏切られるようになる。
でもそれって彼が“怪人”から“人間”に近づいている証でもあって、その過程がまたグッとくるんだよね。
特に錫切夢子と桜間日々輝との関係は、作品のなかでもとびきり重要。
錫切夢子との危うい共闘関係
まずは錫切夢子。彼女はDにとって“理解者”でもあり、“脅威”でもある、なんとも言えない存在。
戦隊内で高い位階を持ちながら、実は戦隊そのものの壊滅を目論んでいるヤバい策士なんだよ。
そしてその計画のために、戦闘員Dを“コマ”として使おうとする。
でもDもただの駒じゃ終わらない。彼女の裏の意図を感じつつも、あえてその危険な共闘関係に乗っかるんだ。
そこには、「今の世界を変えるためには、時に“悪”とも手を組まなきゃいけない」っていう、覚悟と計算がある。
とはいえ夢子もまた、Dに対してただの利用対象ってわけでもなさそうで。
Dの中にある“人間性”や“真っ直ぐさ”に興味を持ってる節があるんだよね。
だからこそ、どこかで「この二人、分かり合えるのでは…?」って期待もしてしまう。
だけど夢子は謎が多すぎるし、いつ裏切るか分からない。
信用しすぎたら命取り、でも切れない関係って感じで、見ててずっとハラハラするんだよ。
桜間との友情と、別れの選択
一方、戦闘員Dと“本物の桜間日々輝”の関係は、真逆の方向でエモい。
初対面では、Dが桜間に擬態して大戦隊に潜入しようとするんだけど、実は桜間はそれを黙認するだけじゃなく、協力してくれる。
なぜか?彼もまた「この世界はどこかおかしい」と感じてたから。
だから、戦闘員Dと桜間は“人間と怪人”という立場を超えて、「真実を見極めたい」という共通の想いで手を組むんだよ。
この時点で、もう普通の友情とはちょっと違うけど、深くつながってるのは間違いない。
だけど物語は、二人を「一緒に歩き続ける」ことを許してくれない。
桜間は自ら戦隊を離れ、「正す」ことを選ぶ。
一方Dは、「潰す」ことを選び、桜間の代わりとして戦隊に残る。
この選択の瞬間がね、めちゃくちゃ泣けるんだ。
お互いを信じてるからこそ、別々の道を歩むっていうのが、また切ない。
そして、その別れがあったからこそ、Dの覚悟はより強くなっていく。
人間じゃなかった戦闘員Dが、こんなにも人との関係に悩んで、迷って、それでも歩いていく姿。
だからこそ、Dは“ヒーロー”じゃないのに、誰よりもヒーローっぽいんだと思う。
戦隊大失格 戦闘員D 正体 覚醒のまとめ
ここまで読んでくれたなら、きっともう気づいてると思う。
戦闘員Dはただの“敵キャラ”じゃないって。
むしろ、彼の存在こそが『戦隊大失格』という作品の“核心”なんだよ。
戦闘員Dは「反逆者」か「真のヒーロー」か
「反逆者」と「ヒーロー」って、一見すると正反対に見える言葉だよね。
でも戦闘員Dを見てると、その境界があいまいになるんだ。
だって、彼が壊そうとしてるのは、ウソと偽善で塗り固められた“偽りの正義”。
毎週の茶番劇、操られる怪人たち、力を独占し続けるドラゴンキーパーたち。
そんな不公平な世界に対して、Dは「NO」を突きつけた。
それってつまり、本来ヒーローがやるべきことじゃない?
確かにDは暴力を使うし、潜入や擬態という方法もグレーゾーン。
でもその動機は、誰よりも“真実”に向き合おうとする強さにあふれてる。
だから、Dが「反逆者」か「ヒーロー」かなんて、簡単には言い切れない。
むしろDは、“ヒーローって何?”という問いをぶつけてくる存在そのもの。
今までの戦隊モノの価値観を壊す存在って、めっちゃカッコいいと思わない?
なぜ彼の視点が物語のカギになるのか
戦闘員Dの視点から物語を見ると、それまで当たり前だと思ってたことが、どんどんひっくり返っていく。
「ヒーローは正しい」「怪人は悪い」——その価値観すら疑わしく思えるようになるんだ。
なぜDの視点がそこまで特別かっていうと、彼は「どちら側にも属してない」存在だから。
人間でもない。だけど怪人としても群れない。
だからこそ、偏見も利害も捨てて、フラットな目線で物事を見られるんだよ。
そしてその視点から、大戦隊の歪んだ仕組みや人間たちの裏の顔が暴かれていく。
読者としても、「これは果たして正義なのか?」って一緒に考えさせられるわけ。
物語を進める“視点”ってめちゃくちゃ大事で、Dの視点じゃなかったら、この世界の真実にはたどり着けなかったかもしれない。
彼が見て、感じて、選び取る行動こそが、この作品の推進力なんだよね。
そして何より、その旅路の中でDは“人間らしく”なっていく。
怒って、迷って、仲間を得て、信じて、裏切られて、でもまた進んでいく。
その過程があるから、たとえ姿が怪人でも、心は誰よりも人間らしいって感じられる。
だからこそ、Dの物語は、ただの戦隊アニメにとどまらない。
見る人の心に問いかけてくる、「本当の正義って、なんだろう?」って。
それに気づけたとき、きっとこの作品の“面白さ”が何倍にもなるはず。
- 戦闘員Dは怪人ながら主人公の座に立つ異色キャラ
- 擬態で人間社会に潜入し、神具を奪う覚醒を遂げる
- 大戦隊の正義はやらせで構成された欺瞞の世界
- Dは真実を追い求める反逆者にしてもう一人のヒーロー
- 錫切夢子との共闘は緊張感と戦略が絡む複雑な関係
- 桜間との友情と別れがDの信念をより強固にする
- 誰が本当の正義なのかを問う重厚なテーマが魅力
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